心に平穏を。

Fuck my life

自己肯定による陶酔感

何かを成し遂げたいという人の欲は、人間力を上げたりキャリアアップのために大変効果的なエネルギーである。野望を持つことはそれ自体良いことだし、若い時はそれだけエネルギッシュに人生突っ走っていかなければならないのだろう。しかしながら、そうした野望は「自分がこの社会に存在するに値する人間であることを自分に納得させる」というような意味合いも持っているのではないだろうか。いや、それは悪いことではない。人間の欲求として必要なものだ。それがなければ生きていけない。しかし、自己肯定はとても気持ちの良いものである。もしその気持ちよさを忘れられずに、それが自分のあらゆる行動の中心となってしまった時には、もうそれは一種の麻薬となってしまっているだろう。そして、行動一つ一つが持つべき本来の目的を忘れて、自己肯定の陶酔感に溺れてしまうのだ。そうなってしまうと、「何かを成し遂げる」という目標から徐々に遠ざかってしまう。自己肯定は短期的視野の目的だ。「何かを成し遂げる」という長期的目標を達成するためには、自己肯定はクリティカルな要因にはなり得ない。

まあ、そういったことに気づくのに必要な自己内省は、忙しいときには全然できないものだあるけれども。そうであるから、多忙な生活を一度鎮めて自分が本当にしたい本質的な欲求を思い出してみることも、時には大事なことかもしれない。本質的な欲求なんてものがあるのか知らないけれど。(知らないんかい!)

金とやり甲斐の狭間



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私は最近バイトを2つ掛け持ちしている。1つは自分のスキルアップと興味のためのエンジニアバイト。2つ目は学費やその他生活費や貯金の為の飲食店バイト。エンジニアバイトの方はとても刺激的だし、学ぶことが沢山あって日々成長していることが感じられる。私は学部を卒業したあとも大学にとどまりいずれは研究職に就きたいと思っているが、企業では研究というよりもモノを作ってなんぼの世界なのでそのようなヒリヒリとした空気をかんじられるのはとてもいい経験になっていると感じる。しかしながら大学も兼ねているし学業が本分なので、昼間から夜が勤務時間の仕事に沢山コミットできるわけではない。しかし、工数に応じた給与が出るので、それなりに成果を出さなければいけない。

そうなるとやはり経済的にそれだけでは補えないので、学費のために深夜は飲食店でバイトをしている。深夜給が出るのでそれなりに稼げるが、どうにも深夜なので、次の日は寝ずに学校に行ったり、エンジニアのバイトに行ったりしている。それは大変疲れることで、自分で感じているわけではないが、それなりにパフォーマンス効率は落ちていることだろう。

また、私は大学の授業だけでなく個人でも研究を進めているので、個人で自由に学べる時間も作らないといけない。そうなるとどんな時間でも惜しく感じるのだ。特に飲食店バイトに関しては本当はこんなことしたくない。

「もっと自分の身になる作業にこの時間を使えたらどれだけ幸せか」と思うことが多々ある。しかし、それでも、学費や自分の将来のため、必要なモノのために自分の限りある時間をお金稼ぎに使わなければいけないのだ。しかしどこかで解決策を見出さなければいけないことは明白であろう。

ブレードランナー2049の感想

あらすじ

映画「ブレードランナー 2049」は1982年に公開された映画「ブレードランナー」(監督: リドリー・スコット)の続編となる、2017年に公開された映画である。この映画における世界では、レプリカントと呼ばれる労働力を増やすために開発されたアンドロイドが人間の生活を助けている。主人公はレプリカントの新型で、欠陥のある旧型レプリカントを処分・解体する職務に就いていた。主人公はいつもと同じように、ある旧型レプリカントの解体ミッションを完遂したのだが、そのレプリカントの住居の庭で、帝王切開の合併症で死亡したと見られる女性の遺骨が見つかり、その遺骨には製造番号が刻まれていたのだ。つまり、そのレプリカントは人間ではないのにもかかわらず子供を出産したのだ。実は、旧型レプリカントを製造していたが今は倒産してしまった企業が、レプリカントの生殖技術を実現させていたのだ。このことから、主人公が所属する派閥は社会混乱をもたらしかねないこの事実を隠蔽するために、生まれてきた子供も含むあらゆる痕跡を消そうとするが、一方で新型レプリカントの製造元企業はレプリカントの生殖技術を得る目的で子供を見つけようと活動を始めた。

 ヒトの定義

この映画において主軸となる、人造人間であるレプリカントが受胎するというイベントは、この映画を手がけた監督の前作からインスパイアされたアイディアなのであろうが、このアイディアは人というアイデンティティを定義するものは何だろうか、という疑問を提起している。レプリカントは基本的に胚から育っているわけではない。彼らは人間によって素材を組み合わせることで作られている。彼らの血は人工的に注入されたものであるし、ボディの素材も完全に人間と同じ容姿で触り心地も人間の肌と変わらないが、それらは人間の手で(あるいは機械で)結合して組み立てられたものである。つまり、クローンのように生物的に作られたものではないが、完全に人間と容姿は変わらないのだ。それにもかかわらず、ある旧型レプリカントは受胎した。そこがこの映画のオリジナリティであり、議論するに値する提起である。

また、ヒトというアイデンティティを議論するに値する登場人物がもう一人いる。それは体を持たないAIだ。彼女は(映画では女性)は主人公の恋人役なのであるが、物質的な体を持たずホログラムとしての体を持つ。映画の中の彼女は、鑑賞者の主観においてだが、まるで人間が恋人を愛しているのと変わらないのだ。最終的に主人公のために犠牲になってしまうのだが、果たして映画におけるAIはヒトとどう違うのか。

ヒトをどう定義するか。映画における一般大衆は、完全に純粋に胚から育ったモノをヒトと捉えていた。それ以外のモノに関してはどんなに知性を感じようと、容姿がまるで似ていようと、彼らがみなすヒトと同じようには扱っていなかった。映画の中でレプリカントはヒトと外見的には区別がつかないが、ほかの方法でヒトとレプリカントの区別をつけようとしていた。それを映画の中では、「フォークト・カンプフ法」と呼んでいた。映画の中の世論ではレプリカントはヒトと同等の感情移入能力がない、あるいは希薄とみなされていた。この性格を利用して、レプリカントに倫理的にショックな言葉を投げかけ、反応が一定レベルよりも低かった場合にレプリカントと判断する、という手法を取っていた。また、レプリカントの活動に定期的にこの試験を受けることを義務づけ、この試験で一定レベル以上の反応をレプリカントが見せた場合に矯正治療期間を設け、ここで修正出来なかった場合は、解任(抹殺)処分とした。しかしながら、主人公は操作の過程で感情のブレが高まってしまい、試験に不合格となってしまった(その後、逃走して事件の真相を再び追うのであるが)。

ここで疑問なのだが、レプリカントとヒトを区別する方法として、感情の起伏のブレを計測に使っているが、それにパスしないレプリカントがいる時点で、その基準は間違っているから新しい基準を考えなければいけないという結論になぜ至らないのかということである。しかし、現実でも思考しなければならないのにもかかわらず、ヒトの精神的な障壁のためにそれを認めることができないという事例が見受けられる。例えばハンナ・アーレントが「アイヒマンは普通の人と変わらない。ヒトはある状況下に置かれるとその行動がどんなに卑劣であろうと盲目的にしたがってしまうことがある。」と主張したことに対し、世論が大反対した出来事を鑑みれば、ヒトの非合理性を説明できるだろう。これと同じように映画においては、ヒトとレプリカントの容姿はほとんど同じで、かつ精神や感情も人間と等しいと認めることになってしまえば、ヒトであるという一種の選種思想のようなものが根本的に否定されてしまうため、どうしても認めることはできなかったのだろう。

何か創作物から議論をする場合、今回は「ヒトとは何か」という主題であるが、最終的な結論は基本的にアカデミックの分野の人であれば同じであるように感じる。ただ現実における人は、理屈は理解できても、それを感情的あるいは精神的な階層に落とし込むと、どうしてもその理屈を受け入れられないことがあるのだ。ではそこをどう扱うか。それが最も議論に値する主題であるのだろう。

 差別

私は最近のトレンドである、「AIにはできないがヒトにしかできないことは何か」という議論自体に疑問を感じる。なぜそこで人間とAIの区別をつけなければいけないのか。先ほど、議論すべきは理屈ではなくて人間の感情面だ、と主張したばかりであるのに今から理屈の話をしてしまうのは恐縮であるのだが。映画でヒロイン役として出てきたAIは物質的な体を持たず、ホログラムで表現されていた。しかしながら、ホログラムと言ってもスターウォーズなどで見るような若干霞んだ青いレーザーで表現されているようなものではなく、完全に見た目はそこに存在しているようにしか見えないものだ。実際、役者は現場でその場で演じていてそれを後から若干の加工でたまにピントがぶれる表現などを加えているのだろう。見た目は完全にそこに存在しているのだが、ホログラムだから触ることはできない。しかし、主人公を常に愛していて、他の人間の身体を借りて自分のホログラムをその身体と重ねて、主人公に温もりを感じさせようと試みたり、逃亡する主人公と一緒にいるために自らをクラウドから隔絶してハードウェアにメモリを写し、最終的に主人公をかばってハードウェア自体が壊れ完全に存在が消滅してしまう。この映画では人権的階層構造が表現されている。というのもヒトはレプリカントを蔑視しているが、レプリカントはAIを蔑視しているのだ。このことから、現実世界における古くからの人種差別となんら変わりないようだ。これを映画製作者が意図的に表現したのかは定かではないが、少なくとも鑑賞者にはそのように捉えられる。現実の世界におけるAI技術は映画におけるAIの様にはまだ進化していない。そもそも不可能であるかもしれない。少なくとも今現在実装されている如何なるアルゴリズムでも、映画の様に完全に人であるAIを実現させることは不可能だろう。アルゴリズムの詳細については今回は言及を避ける。しかしながら、映画における描写を鑑みると、そもそも「AIには出来ないが、ヒトにしか出来ない事」を探すことは、未来の新たなる差別を生み出すことに繋がりかねないのではないか。そもそもヒトにしか出来ない事を探すことは、様々なバイアスがかかり、最終的に既存の選民思想の様な考え方を新たに生み出してしまうのではないか。真意は定かではないが、映画はこの様な課題を提起していると感じた。

 まとめ

映画から様々な提起を連想できるが、この映画は他の生命倫理に関する映画と比較すると直接的な主張が無いように感じられた。それがなぜ出来たのかを考えると、映像表現や、主人公とAIの純愛などによって、他の映画でははっきりと主張されているディストピア的世界観をより中庸的に表現していたからではないか。

 

【引用参考文献・URL】

みんな知らないで使ってる言葉「イノベーション」(高校2年生に向けた発表原稿)

<Intro>

皆さん、初めまして。本日は皆さんにイノベーションについてお話しする機会を設けていただきとても光栄です。皆さん、テレビとか他のマスメディアでイノベーションという言葉を聞きますよね、あるいは見かけますよね。私はもう耳に胼胝ができるほど聞いて、イノベーションという言葉が嫌いになりました。なんか音が嫌いなんですよね、「イノベーション」っていう。まあそういう個人の感情は今回おいておきましょう。このイノベーションっていう言葉ですが、マスメディアだと定義が曖昧なまま乱用されていると思うのです。そのせいかイノベーションという言葉がとてもふわふわしてきてしまい、何がイノベーションなのかよくわからないという状況になっていると思います。ここで皆さんに伝えておかないといけないのは、何がイノベーションなのかについて今でも沢山の議論がされているということです。あまりにもこの言葉が使われすぎて、イノベーションという言葉が絶対的な定義がされているように感じますよね。今回は、全ての議論を紹介することはできませんが、一部の人のイノベーションの定義について紹介したいと思います。今回紹介することが絶対的な定義ではないことを念頭において聞いてください。

また、これからイノベーションについてお話しさせていただくのですが、話している最中に常にし続けて欲しいことがあります。それは話の中に疑問点がないか、矛盾点はないか、間違いがないかを常に考えながら、聞いて欲しいと思っております。これは多分なんでもそうなのですが、学校の先生の授業で常に何か矛盾点がないかを探してください。それをすることによって物事を批判的に見る力を養うことができます。別に私の話が合っていると思わなくて構いません。私の話を常に批判的に聞いてください。あとは、皆さんスマートフォンや携帯端末を持っているかと思われますが、それらを駆使して知らない言葉やわからないことを調べながら聞いてください。Webや辞書はとても有用です。本当は高等学校での授業でどんどんそうした検索ツールを活用して欲しいのですが、まだまだいろいろなしがらみがあってなかなかうまくいかないですよね。特に社会科目なんてGoogle先生の方がとても沢山のことを知ってるのに。

 

<定義>

まずイノベーションという言葉は誰によって作られたか。それはシュンペータという人が考えたのですが、彼によるとイノベーションはこのようなものであるらしいです。

「経済活動の中で生産手段資源やそして労働力などを今までとは異なる仕方で「新結合」 すること」

まあ、いうならばいろいろな性質のものを組み合わせて新しい何かができることですね。さらには、

「経済的・社会的価 値を生み出すあらゆる改革行為のこと。」

とも定義されています。皆さん、イノベーションというものは「新しい科学技術を生み出すこと」というように認識しているかもしれませんが、別に科学技術に絞ってないんですよね。そこが皆さんの中で誤解があった部分だったかなとも思います。

イノベーションを、経済的・社会的価値を生み出すあらゆる改革行為のこと、と定義しましたが、とても抽象的な表現ですよね。もっと細かく定義していきましょう。

持続的イノベーションと破壊的イノベーション

ある人のイノベーションに関する理論が最近のイノベーションの定義でよく使われています。その人はクレイトンクリステンセンという人なのですが、その人はイノベーションを大きく分けて、大きく分けてですが、持続的イノベーションと破壊的イノベーションに分けました。持続的イノベーションに関してはあまり、いうことはありません。持続的イノベーションとはあるプロダクトの機能が常に上昇し続けて世の中の経済的・社会的価値を生み出すことです。これはテレビゲームとかだととてもわかりますよね。

最近のPS4ゲームソフトのグラフィックは本当にまるで現実世界のようですよね。あれはUnreal Engineというものなのですが、皆さんもUnreal Engineというライブラリを無料で使えます。パソコン一台あれば、ゲーム作れますよ。しかもそのパソコンも別にとても高価なものが必要なわけではなく、標準的な性能パソコンで動かすことができます。GeForce GTX 680というGPU、いわゆる画像処理を司る基盤があれば問題ありません。これは決してとても性能がいいGPUではなく、標準的なPCに搭載されてます。すごい世の中になりましたよね。いや、本当にすごいんですよ。本当に簡単にゲーム作れますよ。まあそのUnreal Engineは今バージョン4なのですが、これはエンジニアたちが必死に開発し続けて今日に至るまで進化しました。これは持続的に性能が向上しているので、持続的イノベーションの一つと定義できます。あとこれに関してもう一つ述べたいのが、Unreal Engineプログラミング言語でいうC++で書かれているライブラリです。これはどういうことかというとUnreal EngineC++というすでに開発されたプログラムをかくツールで作られているゲームプログラムを書くためのツールなのです。つまりUnreal Engineを使うというのはその下に沢山のプログラムが書かれている上で動くプログラムを使うということなのです。多分皆さんにとっては何言ってるかわからないですよね。

例えていうならもし皆さんが絵を描くときに、絵の具を自然の素材から作ったりしませんよね。すでに売られているアクリル絵の具なりを購入して描きますよね。そういうことです。すでに発明されたものを使って新しいものを作るのです。ゲームの開発でも同じことが言えます。つまり何が言いたいかというと、いまある既存のツールを使うというのは、新しいものを作るという点で ”手段の一つとして” とても重要であるということです。


次に、破壊的イノベーションについて説明します。これについては、山口栄一さんという物理学者がいるんですけど、その人がある研究会で説明した内容をそのまま引用させていただきます。その研究会で彼はハードディスクドライブを例に使いました。以下は彼が話した内容そのままです。

(以下わかりやすく文章を修正した山口さんの発言の引用)

「ハードディスク・ドライブは、14 インチから 8 インチ、5.25 インチ、3.5 インチとしだいに小型化しました。これは別に技術革新でもなんでもありません。たんに小型化しただけです。そのせいで、記憶容量も小さくなるにつれて下がります。

このように性能が下がって何が起こったかと言うと,14インチから8インチになったときに14インチを売り出していた会社は潰れ、8インチを開発して売り出した新興企業は設けました。5.25 インチのハードディスク・ドライブを開発して売り出したときに、8インチを売っていた会社は潰れました。さらに、3.5 インチのハードディスク・ドライブをある企業が売り出したときに、5.25インチを売っていた会社は先例から、顧客調査をしました。その結果ニーズがないと判断したため売り出さなかったのですが、後に3.5インチのディスクドライブはノートパソコンで広く採用されるようになりました。その結果、5.25インチを売り出していて、3.5インチのものを売り出さなかった会社はノートパソコン事業に参入できませんでした。 このように、性能を落とすようなイノベーションが起きて市場が攪乱される。このことを、クリステンセンは破壊的イノベーションと呼びました。破壊的イノベーションとは、第 1 に「製品の性能を、主流市場では認められないほど落とすイノベーション」のこと。第 2 に「潜在市場が発見され、その潜在市場が主流市場を壊すイノベーション」のことです。」

このように定義されたものが破壊的イノベーションです。しかしながら、みなさんGoogleなどで色々調べながら聞いていてくれてると思うのですが、このイノベーションの定義に関して、様々なwebメディアが取り上げてるはずです。それらに書いてあるイノベーションの定義、バラバラだと思いませんか?

私がこの前見たwebメディアの破壊的イノベーションの例は「コンピュータの性能(処理能力)が指数関数的に伸びている」ことでした。おかしいですよね?(笑)

なんで性能上がってるのに破壊的イノベーションなのか、と。

 

<高校生向け実用知識>

このような事例から私が言いたいことは、イノベーションとは関係ないかもしれませんが、「沢山の情報を比較検討してどの情報が事実かを分析することが重要」ということです。昨今では様々なwebジャーナルが乱立してしまっていて、情報の取捨選択が難しいと思います。その中で正しい情報を得るためのポイントは「記事の参考文献を調べる」こと。これがなければ怪しいと思った方がいいです。それなりの記事の信頼性を考慮している記者であれば、参考先は記載するはずです。これはとても重要です。さらにはこの参考文献をどんどん遡ったりすることで、理解を深めることもできます。これは様々な勉強で使える技だと思うので、ぜひ参考にしてください。


もっと詳しくイノベーションについて知りたい方は、Google Scholarと検索して出てくるサイトで、「イノベーションとは」と調べたり、私が今日紹介したクレイトンクリステンの論文を、英語長文の勉強がてら読んだり、あとは山口栄一さんの「イノベーションはなぜ途絶えたか: 科学立国日本の危機 」という1000円いかない新書を読んだりして見てください。私の話はとてもじゃないですけれど不十分なので、ぜひ追加で調べたりしてください。受験勉強って必要なこと以外を学ぶことが効率悪いような気がしますが、むしろもっと広いカテゴリで勉強を進めると面白いですよ。例えば歴史を勉強するのに教科書だけではなく、Wikipediaで単語や人物名を調べて見たり。まあWikipediaは決して全ての情報が正しいわけではないですが、勉強の取っ掛かりとしてはとても有用だと思っています。皆さん、来年の受験勉強は、受験受かればいいやと思うのではなく、せっかく1年間一生懸命勉強するのですから、楽しんで見てください。案外楽しいですよ。
今日はありがとうございました。

【参考文献】

近況

一年ぶりくらいにブログを更新します。だいぶ考え方も変わって前のブログとかクソほど消してやりたいのですが、まあこういう時代があったんだという自己史料として残して起きます。さて最近の僕ですが、去年の11月くらいから本格的にプログラミング言語にはまりだして、今はアキバで光る靴とかセンサー付いた靴を作ってるところでバイトしたりしています。

まあそれはさておき、最近は個人でシンセサイザー作りを始めました。いや、シンセサイザー作りというか音作りですかね。以前からWest Coast HipHopとか、最近のトラップとか、Chicago/Ghetto HouseとかJuke/Footworkとか聞いたりしてて、音とかグルーブとかリズムの細かい部分が好きで、いろんな曲をディぐったりしていたのですが、なんか最近はいろんな音があるけどどれもあまり進化してなくて、どれも聞いたことのある実社会でよく耳にする平々凡々な音ばかりだ、と感じることが多々ありました。だからもし”これが面白い音だ ! ” とかありましたらぜひ教えて欲しいのですが。

まあ、そういう音楽や音に対する退屈感もあり、「じゃあ自分で作るか。ついでに大学の卒業論文/研究も"新しい音"についてやろう」と思い立ったので、最近はフーリエ解析という初歩的なところも学びながら、それらを実際にプログラムで音に変換したりして、音の作り方の基礎的な部分を勉強し始めています。さらに、"新しい音"を作るにあたって哲学的アプローチを掛けてみたりするのも面白いなと思い、最近は現象学ホワイトヘッド存在論ハイデッガーやグレアムハーマンなどを読んだりしています。そのように様々な観点を通して新しい音作りを模索しています。以上で近況については終えて、タイトルの内容に移りたいと思います。僕の研究については追って本ブログで更新していきたいと思います。

ふっヒャアア、起業するぜ!- E-Residency申請してみた。

まだシンガポールにいるけどそろそろ帰って大学の研究室にこもってひたすらダークウェブについて研究したいハタチのラスタマン(になりたいマン)です。

 

 

 

 

■e-residencyとってみたお

最近、とりあえず企業してえなあーっと思い早く日本に帰って法人登記しようと思っていたのですが、まだシンガポールから日本に帰れないし多分大学卒業後はどっか違う国に行くだろうし、「日本で会社たててもなー」っと思っていました。

 

じゃあどうしよっかな、と考えてるうちに、「あ、そういえばエストニアがe-residency」とかいう誰でもエストニアの電子居住権取れるサービスを出してたな」とふと思いました。

早速、e-residencyサイトに行って、Become an e-residentをクリック。

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やべー!100ユーロで申請できるのか。

所持金現在300シンガポール$で日本の口座は財布無くして停止してるので。有り金の7分の3くらい出せば取れるということを知って安心(いや、お前シンガポールで生活できないだろ......)。

まあそれはさておき、パスポート情報と首から上の顔写真、現在地の住所、戸籍上の住所、その他e-residencyへのモチベーション3000語以内などを記入して、提出ボタンをクリック。

 

以上で簡単に申請できました。超簡単でした。

 

その一ヶ月後、一通のメールが。

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どうやら北京から出張でシンガポールまで来て、e-residentカードを渡してくれるそうです。次の受け取りは3ヶ月後。。。

 

早速、チケットをピックアップしました。

そして早速、家に帰ってe-residencyのサイトに行ってStart a companyをクリック。

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ふむ、次の段階はバーチャルアドレスをとることだな。

あとはエストニアで銀行口座を開設しなければいけません。

今まではEUの規制で、ヨーロッパで銀行口座を開くには名義人が支店に直接行かなければいけませんでした。。

けれど今はHolviという超画期的なやばいサービスによって、そういったe-residencyのメリットを阻害する規制を掻いくぐることができるのです。

やばいですよね。

Holviでの銀行口座申請は35ドルでできます。それもやばいですよね。

まあとりあえず全て解決できそうです。

次回はリーガルアドレスを取得し、オンラインバンクアカウントも全て取得し、法人登記まで済ませたら、e-estoniaスタートアップ起業のスタートです。

 

 

■何しようかなー

今考えてるのは

1. 「社会なんて大嫌いだ!俺たちの居場所はそこじゃない!ダークウェブとブロックチェーンを活用した超絶クローズドコミュニティを作るプラットフォーム

2.「少しの暇な時間を人との出会いに利用しよう!忙しい人のためのGPS出会いサービス

3.「子供達よ、お小遣いの奴隷になるな!未成年の暗号通貨教育

etc............

まあそんなことで、、、

 

とりあえずスケッチでプロトタイプ作成するのと、Go言語をどんどんつけるようになってブロックチェーンのプロになろう。

 

これからあげてく記事は

  1. e-residencyについて
  2. Go言語学習足跡
  3. スタートアップ迷走日記
  4. 社会から逃げたい。。じゃあどうしようか。。

についてかな。

 

 

PS.基本仕事がしたいというより心に平穏をもたらすためにどんなものが必要かを考えてスタートアップを試みたいな。。

日本のスタートアップのミーハー感は好きじゃない。。

俺は自分の居場所を作りたいだけなんだ。。

 

以上です。散文にお付き合い頂きまして、あなたの時間を奪ってしまってほんとすみません。。。。。死にたくないなあ。。