心に平穏を。

Fuck my life

自己肯定による陶酔感

何かを成し遂げたいという人の欲は、人間力を上げたりキャリアアップのために大変効果的なエネルギーである。野望を持つことはそれ自体良いことだし、若い時はそれだけエネルギッシュに人生突っ走っていかなければならないのだろう。しかしながら、そうした野望は「自分がこの社会に存在するに値する人間であることを自分に納得させる」というような意味合いも持っているのではないだろうか。いや、それは悪いことではない。人間の欲求として必要なものだ。それがなければ生きていけない。しかし、自己肯定はとても気持ちの良いものである。もしその気持ちよさを忘れられずに、それが自分のあらゆる行動の中心となってしまった時には、もうそれは一種の麻薬となってしまっているだろう。そして、行動一つ一つが持つべき本来の目的を忘れて、自己肯定の陶酔感に溺れてしまうのだ。そうなってしまうと、「何かを成し遂げる」という目標から徐々に遠ざかってしまう。自己肯定は短期的視野の目的だ。「何かを成し遂げる」という長期的目標を達成するためには、自己肯定はクリティカルな要因にはなり得ない。

まあ、そういったことに気づくのに必要な自己内省は、忙しいときには全然できないものだあるけれども。そうであるから、多忙な生活を一度鎮めて自分が本当にしたい本質的な欲求を思い出してみることも、時には大事なことかもしれない。本質的な欲求なんてものがあるのか知らないけれど。(知らないんかい!)